長野県長野市にある国宝善光寺に
100か所以上の落書きが発見されるという事件がありました。

こんにちはRyoです。

寺院や神社などに落書きをするという事案が
なかなか後を絶ちませんね。

僕は長野県出身の人間なので、地元の人間としては
許しがたい事件です。

しかも100か所以上の落書きという
いたずらの範囲を大幅に超えた悪質な犯行です。

たとえ1か所でも寺院や神社に落書きなんて
許されることではありませんけど。

こうした心無いというかモラルのない行為を起こす人の
精神性には甚だ疑問です。

建造物に落書きをするという事案は海外においても
図られていますね。

日本人が海外の観光地で建造物に自分の名前を書いたりして
挙句の果てに「自分たちが来た証を残したかった」などと
言い訳を残す姿は非常に見苦しいです。

まさに「信仰への冒涜」と言えるでしょう。
善光寺の若麻績信明寺務総長もコメントでそのようなことを
おっしゃっていました。

いったいどういった心理でこのような行動に及ぶのでしょう。

僕なりに考察してみました。
あくまで個人の考察ですのでご配慮ください。

落書きをする心理=自己顕示欲の暴走
なのではないかと僕は考えています。

小さい子供などが家の壁やタンスに落書きしてしまうことと
こういった事案の落書きとは根本は似通っているのかもしれませんが
明らかに異常性があります。

というか小さい子でもお寺や神社に落書きをしちゃいけないって
当たり前のようにわかることですからね。

それを大の大人がやってしまうということは、その人が
自己承認欲求を満たされていない証拠なんじゃないでしょうか。

すなわち自己顕示のためにこういった犯行に及んでしまう。

いたずらの域を超えていますからね。あえて「犯行」と
言わせてもらいます。

そうです。ぶっちゃけ犯罪ですよこういうのは。
詳しい罪状は知りませんけど。

わかっててやめられないのならそれはもう医療機関の診断を
受けるべきなんですが、面白半分でということならば
モラルの低下と自己顕示欲の行き場の無さを嘆くほかありません。
実際しかるべき処分は受けるべきですけれども。

僕は全くこういった行為を社会のせいにして擁護するつもりはありません。
あくまで個人のモラルの問題に帰結すべきですから。

名ばかりの道徳教育など意味のないものだと言わざる負えないこの事案。
個人の倫理観を取り戻すために日々何をするべきなのかということを
考える社会になってきてしまったのかもしれませんね。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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